バレンタインデーに思うこと。「丁寧な暮らし」は雑にやるくらいがちょうどいい。

 

ある人から
「○○さんは丁寧な暮らしをしようとしてるのね」
と言われてびっくりした。
自分では全然そんなつもりなかったからだ。
むしろ雑になってきたと思っていた。

私にとっては「丁寧な暮らし」って
すこしこわい。
こだわりすぎて自分の世界を
狭めてしまいそうなこわさ、
丁寧にできなかったときに
自分を許せなくなってしまうんじゃないか
というこわさ、
そして自分が誰かの心地いい世界を
壊してしまうんじゃないかというこわさ。

美しく穏やかな世界観を見ていると
「いいなぁ」という気持ちと同時に
「そんなにきれいなものばかりじゃない」
という思いも湧いてきて
胸のどこかがぐちゃぐちゃに
乱れてしまうのを感じる。

そんな自分が「丁寧な暮らし」をしようとしていたとは。

 

だけどべつのとき、
丁寧な暮らしをしながら
闇や葛藤を感じさせる人を見つけた。

理不尽や居心地の悪さ、
うまくいかないこと、
それとともにある「丁寧な暮らし」を見て
物や暮らしや生き物を愛でながら
この方もサバイブしているんだな
と感じた。

 

私がおそれを感じながら
「丁寧な暮らし」を
できるようになってきたのは
失敗してもいい、適当でいい、
雑でいいと思えるようになってからだ。
今日できなくても、
明日やれそうだったらやればいい。

完璧にやろうとしたら
「丁寧な暮らし」も
居心地の悪い牢獄になってしまう。

生き物のぬくもり、
ごはんの味わい、
選ばれた物たち、
それを感じる丁寧さはあるけど
失敗しても挫けずに
さぼってもやめずに
雑さも持ってやっていこう。

と思ったバレンタインデーの夜。

 

 

 

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