あたり前じゃないことに気づくとき、世界が少し安心できる場所に変わるのだと思う。

自分より若い人を見て 「なんでありがたいと思わないんだろう」 と思うことがあった。 「今時の若いもんは」って 今にも言い出しそうな勢いで。

けどよく考えたら私も 若い頃は感謝ってよく分からなかった。 (同じにしたら若者に悪いかもしれないけど)

「だって頼んでないし」 「どうして嬉しくもないのに感謝しないといけないんだろう」 って思ってた。 本当に悪気なく。 感覚がわからなかった。

その頃の私がわかっていなかったのは ひとの親切はタダじゃないってことだ。 有料とかそういうことじゃなく 親切にはコストがかかっている。

そのひとが日常を営みながら育んだエネルギーを 分けてくれてるっていうこと。 自然になにもなく湧いてくるものじゃなくて そのひとがコストをかけて育ててきたものだし そのひとの生きるエネルギーを注いでくれてる行為。 とても尊いことなのだ。

元気なあいさつはあたり前じゃない。 なにげない雑談はあたり前じゃない。 ちょっとした親切はあたり前じゃない。 気にかけてもらえることはあたり前じゃない。 だけどあたり前だと思ってた。 人という生き物はそういうものなのだと思っていた。 違うのよ。

そういう無数の 意識したこともない無数のいろいろに 若い頃は気づいていなかった。

これは経験や感受性によって違うから 若い人でもわかってる人はいる。 私は頭でわかってるつもりの部分はあったけど わかってなかったなーって 年をとってから感じるようになった。

 

そんな感じだから 若い人にムッとしても なんだかまっすぐ怒れない。 (私怒るほど親切じゃないし)

いつか気がつく日が来るのだろうか。 たくさんの親切に囲まれていること。 どれだけ支えられているかということ。

それに気づいたとき 世界がそれまでより少し 安心できる場所に変わるのだと思う。